講演「歴史家の独り言:スペイン語・ラス=カサス・アンデス世界を学んで」(要旨) 

*以下は2014年12月15日に関西外国語大学ICCホールで行った講演の要旨.
KANSAI GAIDAI UNIVERSITY イベロアメリカ研究センターニューズレターNo.4 (2015年3月発行)より転載(ただし写真は割愛、文章は一部、修正)。

”今回の講演はタイトルからも窺えるように、学術的なテーマを論じたものではなく、2015年3月末をもって関西外国語大学での5年間の教員生活 を終えるにあたり、とくに同大学スペイン語学科の学生諸君に伝えたいことを三つのテーマに分けて語った「独演会」である。すなわち、講演は、50年間スペ イン語と関わってきた一先輩として、また、46年間ラテンアメリカ史の研究・教育に携わってきた一歴史家として、これまでに得た知見や教訓をテーマごとに 主観的に語ったものにすぎない。

まず、講演の副題「スペイン語・ラス=カサス・アンデス世界…」に注目していただきたい。講演者はスペイン語の学習を通じてラス=カサス (1484-1566)という、現在、世界における人権擁護運動の先駆者として高く評価されている16世紀のスペイン人の存在を知り、そして、そのラス= カサスを学ぶ過程でスペイン支配期のアンデス世界の重要性に気付かされた。つまり、スペイン語の学習を嚆矢として新しい研究テーマが次々と生まれたのであ る。したがって、外国語を学ぶという作業が学習者を未知なる世界へ誘うきわめて魅惑的かつ刺激的な知的営為であることを伝えようとすれば、矢印(→)を 使った方が適切であったかもしれない。しかし、「スペイン語→ラス=カサス→アンデス世界…」とせずに、あえて中黒(・)を用いてテーマを並列させたの は、話が単に講演者の研究の軌跡を辿るものでないことを理解して頂きたかったからである。換言すれば、その三つのテーマは今なお講演者にとり学びの対象で ありつづけていること、また、今後もそれに変わりがないこと、一言でいえば、外国語の学習には終わりがないことと、研究分野を問わず、地域研究や異文化研 究は外国語の学習を無視もしくは軽視しては成立しないことを伝えたかったからに他ならない。

講演者は高校時代から外国語と歴史に強い関心をもっていたので、大学時代、スペイン語を学ぶ過程で知ったラス=カサスという人物に興味を抱き、ラ ス=カサスをテーマに卒業論文を作成した。そして、卒論の指導教官であった故・ホセ・ルイス・アルバレス先生(1910-1995)やスペイン語のみなら ず人生の「師」ともいうべき大阪外国語大学名誉教授山田善郎先生(1926-)の勧めもあって、大学院へ進学し、研究者の道を志すことになった。その後、 日本におけるラテンアメリカ研究の第一人者である東京大学名誉教授の増田義郎先生(1928-)や世界におけるラス=カサス研究の先駆者、故ルイス・ハン ケ教授Dr. Lewis Hanke(1905-1993)の知遇を得て、メキシコ留学や国際会議での研究発表を経験したり、ラス=カサスの論策を翻訳・出版したりして、ラス=カ サス研究を進めることができた。そして、1981年、講演者の研究活動と教育者としての生き方を左右する大きな転機が訪れた。先記の増田先生の推薦で、国 際交流基金からラテンアメリカ有数のペルー・カトリック大学人文学部歴史学科へ客員教授として派遣され、当時、世界のアンデス史研究者の間でその鋭い史料 批判・分析・解釈で高い評価を得ていた同大学歴史学科の故フランクリン・ピース教授Dr. Franklin Pease(1939-1999)から、ラス=カサスの思想がアンデス先住民に与えた影響に関する研究が遅れていることやその研究の重要性を教えられ、そ れまで研究対象地域をメキシコに限定していた視野の狭さに気付かされたのである。ピース教授との出会いによって、ラス=カサスとアンデス世界が繋がり、以 後、“ピース・ファミリー”の一員として海外の錚々たるアンデス研究者たちの知遇を得て、共同研究や国際シンポジウムを組織できるようになった。

ペルー・カトリック大学といえば、どうしても触れなければならない人がいる。サロモン・レルネル・フェブレス氏Dr. Salomón Lerner Febrés(現在、同大学初代名誉学長 哲学者 1944-)である。レルネル氏との出会いは教育と研究を職務とする大学人としての生き方や異文化理解 と多文化共生社会の在り方を熟考する契機となったのである。知り合った当時、レルネル氏は人文学部長であったが、その後、同大学の学長に2度選出され、さ らに当時の大統領から「真実和解委員会」の委員長に任命されたため、学長職を務める傍ら、1980年以降20年間にペルーで起きたテロや政府軍・国家警察 による農民(圧倒的に先住民)の虐殺と人権抑圧の実態調査に献身的に取り組んだ。そして、その功績は世界的に高く評価され、今もなお、世界各国から人権擁 護に尽くした功績をたたえられ、数多くの名誉ある勲章が授与されている。要職に在りながら、自らその身を危険に晒して現地で実態調査を行い(犠牲者と行方 不明者は約7万人)、現在も人権問題研究所の所長として平和で民主的なペルー社会の実現に尽力するレルネル氏は講演者にとって、さながら現代の「ラス=カ サス」であり、講演者はひそかにレルネル氏を「ペルーのネルソン・マンデラ」と呼ぶことにしている。レルネル氏との出会いがなかったら、また、講演者の研 究活動に対する同氏の理解と支援がなかったら、1981年以来毎年、時には年に二度や三度、古文書調査や共同研究のためにリマを訪れることも、ペルーを 「第二の故郷」と感じることもなかったと断言できる。1981年の最初の出会いから現在にいたるまで、レルネル氏は講演者にとり大きな存在でありつづけて いるのである。ちなみに、昨年2月、関西外国語大学とペルー・カトリック大学との間で学生交流協定が締結できたのもレルネル氏の尽力の賜物である。

さて、そうしてスペイン語を学びはじめて今年でちょうど50年の歳月が経過したが、今なお、ラス=カサスが16世紀のスペイン語で書き綴った数多くの論 策や浩瀚な作品は言うまでもなく、新大陸関係の記録文書(クロニカ)や未刊史料、それにラス=カサスや大航海時代に関する膨大な量の研究書を相手に辞書と 文法書を片手に苦闘しているのが偽らざる現状である。もちろんそれには講演者の能力も大いに関係するが、少なくとも、外国語の学習には終わりがないことだ けは真実であろう。それでは、以下に、伝えたかったメッセージをテーマ別に簡単に要約してみる。

1.スペイン語:「和訳」と「翻訳」は違うということ。
和訳は、読み手が文法知識をもとに原文を理解(解釈)する、いわば内向きの作業であり、内容が正確に理解されてさえいれば、直訳であっても差し支えない のに対して、翻訳は内容を正確に理解したうえで、その内容を正確に、しかもできるだけ適切かつ美しい日本語で他者に伝えるという外向きの作業であり、その 際、意訳が求められるのは当然である。例えば、ある有名なスペインの劇作家の作品にLos árboles mueren de pieと題された劇があり、それを「木はたったまま死ぬ(・・・)」と直訳すれば、和訳としては許されるかもしれないが、翻訳としては認められない。それ を「木はたったまま枯れる(・・・)」と訳しても満点とは言えず、翻訳では、文全体を名詞化して「立ち枯れ」となる。それが翻訳である。したがって、翻訳 では、文法力は言うまでもなく、日本語の表現能力が重要になってくる。その意味で、スペイン語のみならず、外国語を専攻する学生諸君には、分野を問わず、 日本語で書かれた良書を渉猟して、日本語の表現能力を磨く努力を惜しまないでほしい。スペイン語に限って言えば、その特徴(長文であること、代名詞や日本 語にない関係詞が多用されること、受動態が好んで用いられることや無生物が主語になる文章が多いこと等々)を十分に理解して、適切かつ美しい日本語に「翻 訳」できるスキルを身につけて頂きたい。

2.ラス=カサス:「人類はただ一つ」
いく久しくスペインをのぞく欧米諸国やラテンアメリカで、ラス=カサスは16世紀の先住民擁護運動の先駆者として、「インディオの使徒」とか「アメリカ の父」と称えられたが、一方、スペインでは、「売国奴」とか「人種主義者」として激越な批判に晒されてきた。ラス=カサスが肉体的にひ弱な先住民に代わる 労働力として黒人奴隷の新大陸導入を王室にくりかえし提案したからである。つまり、ラス=カサスは、アフリカでポルトガル人が行なっていた黒人奴隷獲得の 正当性にいささかも疑問を抱かなかったのである。しかし、1540年代後半、ラス=カサスは新大陸でのスペイン人によるインディオの奴隷化とアフリカでの ポルトガル人による黒人の奴隷化がいずれも正義に反する不正行為であることに気付き、1550年代後半、自分の無知蒙昧ぶりを厳しく断罪する文章を書き綴 り、さらに、同じころに編纂した『インディアス文明誌』に、「人類はただひとつ」という文章を記すことになった。それこそ、波乱万丈の生涯を送ったラス= カサスが晩年に辿り着いた結論であり、ラス=カサス思想の現代性、いやむしろ普遍性をあますところなく示す叫びである。しかし、その孤高の叫びは時代の波 にかき消され、ラス=カサスの作品はことごとく、国是に反するという理由から、長い間スペインでは出版はおろか、その手稿すら読むことを禁じられた。そし て、ようやくその禁が解かれて、作品が公刊され、ラス=カサスの真の思想が知られるようになったのは没後300年以上も経過した19世紀末のことである。

ラス=カサス研究を通じて学んだことは、多々あるが、ここでは「人類はただ一つ」という主張から読み取れる重要なメッセージを一つだけ伝えたい。それは、 文化に優劣をつけることはできないということ、言い換えれば、自国の文化を絶対視すれば、異文化を正確に理解するのは見果てぬ夢に終わるということであ る。このメッセージを、とくに留学を志す学生諸君は肝に銘じておいて欲しい。

3.アンデス世界:ヨーロッパ中心主義に対する挑戦
晩年のラス=カサスはペルーに関わる論策や浩瀚な文書を立てつづけにものし、スペイン人によるインカ帝国征服の正当性を否定し、加害責任者であるスペイ ン国王と征服者・植民者は例外なく、インディオに対し賠償義務を負うと主張した。つまり、ラス=カサスは、スペイン国王によるアンデス支配を正当化する法 的根拠は一つもないと断言し、アンデスの支配権を進行中の反乱(1536年に勃発)を指導していたインカ王ティトゥ・クシに返却しなければならないと説い たのである。そして、その主張は、ラス=カサスの没後、アンデスの先住民に受け継がれ、発展させられることになった。その先住民がフェリペ・グァマン・ポ マ・デ・アヤラ(1550?-1616)である。グァマン・ポマと彼の著した貴重で浩瀚な記録文書『新しい記録と良き統治』に関しては不明な点も多いが、 グァマン・ポマがラス=カサスの主張や文章を引用しながら、征服戦争の正当性を否定し、スペイン人に対し賠償義務の履行を迫ったのは周知の事実である。こ こではその詳細に触れる余裕もないので、ひとつだけ強調しておきたい。それは、スペイン人の渡来以前、文字のなかったアンデス世界で生を受けたグァマン・ ポマが独学で修得したスペイン語を駆使して1200頁もの作品(そのうちの三分の一余りが彼の手になる線画)を書き上げたこと自体、「文字」こそ、文明を 象徴する重要不可欠な要素とみなして自らの文化の優秀性を強調し、「文字」を知らない先住民を一方的に蔑視・差別したスペイン人に対する強烈な異議申し立 てを意味するということである。換言すれば、それはスペイン人のヨーロッパ中心主義に対する被征服者からの果敢な挑戦であり、厳しい告発なのである。”